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亀井純子基金の誕生から公益財団法人「神戸文化支援基金」への歩み

亀井純子さん、といっても御存知ない方がほとんどでしょう。

平成2年5月、40才という若さで世を去ったごくふつうのひとりの女性です。彼女は、絵画・音楽・演劇などが大好きでした。とりわけ、才能があるにもかかわらず、発表のチャンスがない人たちや、おもしろくて有意義な内容なのに資金が集まらない催しには、いつも温かい好意を寄せるひとでした。彼女が生きていたなら、きっと実現したかったに違いない夢や想いを少しでも“かたち”にできれば・・・・・・・。

 この公益信託『亀井純子文化基金』は、あくまでも彼女の遺志を受け継ぎ日本ではじめての草の根メセナとして誕生しました。

  その夢が多くの人々の夢を引き受けながら次第に成長し、これも日本ではじめての公益財団法人「神戸文化支援基金」の誕生とつながっていったのです。

亀井純子基金の誕生

亀井純子さん、といっても御存知ない方がほとんどでしょう。

平成2年5月、40才という若さで世を去ったごくふつうのひとりの女性です。彼女は、絵画・音楽・演劇などが大好きでした。とりわけ、才能があるにもかかわらず、発表のチャンスがない人たちや、おもしろくて有意義な内容なのに資金が集まらない催しには、いつも温かい好意を寄せるひとでした。彼女が生きていたなら、きっと実現したかったに違いない夢や想いを少しでも“かたち”にできれば・・・・・・・。

この公益信託『亀井純子文化基金』は、あくまでも彼女の遺志を受け継ぐ者です。兵庫県内で行われることを条件に、若い芸術家たちが、芸術のユートピアを目指し、音楽、舞台、彫刻、絵画、写真、その他ジャンルは問わず、翼を未来へと拡げるような活動の成果を発表するための資金の一部を支援してきました。そして、毎年100万円の助成を続け、これまでに(2010年3月末)91件、1,800万円の文化助成をさせていただきました。

亀井純子文化基金が永続的な活動を続けるためには、設立当初から3,000万円の基本財産が必要とされてきました。ご支援をいただいた皆様のご協力により、信託財産は次のように、少しずつ目標に近づき、また遠ざかりつつありました。

■信託財産残高

 1992年度13,000千円, 1993年度15,375千円,

 1994年度17,098千円, 1995年度16,658千円,

 1996年度17,302千円, 1997年度16,189千円,

 1998年度16,068千円, 1999年度15,602千円,

 2000年度15,619千円, 2002年度14,400千円,

 2005年度13,841千円, 2006年度12,042千円,

 2007年度12,473千円, 2008年度12,305千円,

 2009年度11,207千円,(平成22年3月末)

一般財団法人「神戸文化支援基金」への移行

設立から17年が経過し、しだいに亀井純子さんを知る人も少なくなってくるに従って寄付も集まりにくくなってきました。例えば大きな寄付をされる方が亀井さんの名を冠した基金に寄付することに抵抗感があるかもしれません。理事長の亀井健さんと相談し、基金の名称を「神戸文化支援基金」とすることを決め、理事会の承認をえて兵庫県の担当部局と交渉に入りました。ところが公益信託としての承認は「亀井純子基金」としてのものであり、名称変更は認められないという見解でした。でも、このままでは消滅にむかうことが

予想されます。そこで、もう一つ一般財団法人「神戸文化支援基金」を設立し、いずれ

公益信託「亀井純子基金」と合併することを目指すことといたしました。

その検討を進めていた2007年3月15日に理事長の亀井健氏が逝去、大体の成案を得たころ、亀井さんのあと理事長についた島田誠の妻、島田悦子が2009年6月24日に亡くなり

ました。島田悦子の遺志と寄せられたご芳志をもとに一般財団法人「神戸文化支援基金」は2009年10月15日に設立されました。

この時点での基本財産は1300万円。年間事業額200万円でした。

二つの基金の合併へ

新しい基金が発足してしばらくした2010年9月7日、西川千鶴子さんからの遺贈1000万円を受け、この財団の基盤が安定したのを受けて信託管理をしていた住友信託銀行と兵庫県は2011年3月3日、公益信託「亀井純子基金」から、一般財団法人「神戸文化支援基金」へ残余財産の寄贈を決め、この時点で、基本財産3500万円、年間事業費を300万円とする基金へを発展させることが出来ました。

公益財団法人へ

合併を見届けるように兵庫県公益認定委員会は2011年4月1日、永年の念願であった

公益財団法人として「神戸文化支援基金」を認定しました。

しかしながら、運用益が期待できない現状では、皆様のご協力、ご支援だけが、この資金を育て、実のある活動を可能します。神戸に生まれた、市民メセナともいうべきこのユニークな基金を、皆さまの手によって、より大きく育ててくださるようにお願いいたします。

 

~益信託「亀井純子文化基金」運営委員会~

信託管理人 新野幸次郎(元・神戸大学学長、神戸都市問題研究所長)

理事長・運営委員長 島田 誠

事務局長 中島淳(神戸芝居カーニバル実行委員会事務局長)

運営委員 山本忠勝(美術評論家)

       伊藤ルミ(ピアニスト)

       菊地由紘(北野響働コミュニティー顧問)

       藤野一夫(神戸大学教授)

       楠見健一(音楽・舞台芸術サポートネットセンター神戸主宰)

辛夷(こぶし)の別れ

 3月15日午後4時23分。懼れていたことが現実になった。亀井健さんが亡くなった。61才。覚悟はしていたが、残念です。

3月17日(土)、住吉本山会館で11時から行われたご葬儀に、30分ほど早く行って健さんの写真と対話しました。最後に会ったのは、1月でした。うっすらと額に汗をにじませて「新神戸駅から山際を歩いてきました、運動のためにね」と変わらぬ口調で話し、治療の状況について語ってくれました。奥様の久仁子さんは「そのころは腰に痛みを抱え、足も痛かったと思います」など亡くなられた時の状況を話してくれました。

暖冬といいながら、ここ数日は寒さが戻り、風は冷たかったですが空は晴れ渡り、春を孕んだ光が背中を暖め、静かな気が支配したお別れでした。帰り道に咲いていた春の訪れを告げる清楚な辛夷(こぶし)が健さんの姿に重なりました。前触れもなく一夜にして咲く辛夷となって私に別れを告げたように感じました。

寒かったので、暖かいものをと飛び込んだ食堂。ああ、そうだ「死ぬということは食べられないことなんだ、健さんはもう食べられないのだ」と思うと、急に不在が確かなのものになり、しんみりしてしまいました。すでに彼より3年も長生きしているのですから3,000回は余計に食事をしているんだ、などと馬鹿なことを考え、箸がとまりました。

亀井さんとの出会い

 亀井さんとのお付き合いのはじまりは1本の電話でした。亀井純子(前夫人)さんの1周忌を前に「ちょっと、ご相談したいことがある」と健さんが訪ねてきたのは1991年の2月でした。「純子が残した1千万円を、若い芸術家たちの活動を支援するために役立てて下さい」と突然切り出されたのです。失礼にも「保険金ですか?」と聞くと「いいぇ。純子が自分で貯めたお金です」と答えられました。

純子さんは、神戸にあったオランダ領事館で働いておられオランダの画家や音楽家を神戸で紹介する文化交流でお付き合いがありましたが、無念にも前年の5月に40才の若さで亡くなられたのです。心も姿も美しい方でした。

純子さんがふっと消えてしまった前の年に私は体調不良に陥り7月27日に「脳脊髄鞘腫」という難病の手術を受けました。一ヶ月後にはギャラリーへ復帰。その時の展覧会が私の病のために延期されていたオランダの画家ファステンハウトさんの個展でした。オープニングは画廊のリニューアルとともに祝祭の気分に溢れ、純子さんもとても喜んでくれました。その気分を壊さぬようにそっと「まもなく入院します」と告げられたのです。訃報に接したときの心の痛みが蘇ってきます。その時、すでに助からぬことを秘めていたのだという確信が私を責めました。闘病5年、最初のお出会いの時には既に病を得ておられたのです。

 私が純子さんと共に仕事をした時間は20時間にも満たない気がします。健さんとは挨拶を交わした程度でしたが、大きなお金を私に託されました。そのことが、それからの私の16年の日々を導いたとも感じられます。

魂から魂へ 基金の誕生

 健さんの申し出にどう応えるか自問が続きました。お金ではなく「遺志(魂)」を受け継ぐというのが私の結論でした。純子さんの1周忌である5月26日に基金をつくる準備会をはじめました。ここから公益信託が出来るまでが大変でした。全国でも珍しいちっぽけな草の根基金。いずれ消滅するだろうと言われて今年で15周年を迎えます。文化助成の公益信託は例が無いうえに確実に資金を集め活動を維持しているのも稀だそうです。

 現在の基金残高が1千3百万円。15年間の助成実績が1千5百万円になります。すなわち1千8百万円はあとからいただいたものです。ありがたいことです。

「魂から魂へ」という言葉が浮かんだとたんに、若き日('63年)にグリ―クラブで指揮した大手拓次の詩(清水脩曲)のエンディングフレーズが頭の中で鳴り響きはじめ驚きました。40年以上、まったく忘れ去っていたのに。

 その詩の最後は次のようです。

 

  わたしは日のはなのなかにいる

  わたしはおもいもなく

  時(とき)のながれにしたがって

  とおい とおい

  あなたのことに おぼれている

  あるときは ややうすらぐようにおもうけれど

  それは とおりゆく 昨日のけはいで

  まことは まことは いつの世に消えるともない

  たましいから たましいへ つながってゆく

  しろい しろい 火の姿である

 

 魂から魂へとつながっていく「新しい灯火」であるこの基金は多くの方に支えられ、助成された約80件の事業の先には多くのアーティストやその活動に接した人たちの火の姿であるのです。

文化集合住宅へ

 基金を立ち上げて10年で事務局長を中島淳さんに引き受けていただきました。そして15年周年を迎えるにあたって、何時来るかもしれない自らの幕引きを考えて、この基金を更に充実発展させて森や林とはいかなくとも大きな木に育てたいと運営委員会で設計図を描く試みを始めた矢先でした。新しい基金構想についても「島田さんが前から言っておられたことですから」と賛意を表してくれ病床で考えを纏めると聞いていました。行政や企業にたよることない個々の志が文化を支える。集合住宅「志」の各部屋に亀井とか島田とか何々さんとかの表札があがり、それぞれに支えたい目的が明示されているとういような構想です。高層とは遠く、マンションまでもいきません。まさに「文化住宅」なのです。

現代の神様

 宮城まり子さん(「ねむの木学園」園長)が、3月24日の日経新聞の「私の履歴書」に「現代の神様」のタイトルで書いていました。

 学園を設立して、その資金に窮していた時、突然、ホテルを訪ねてこられた作業着姿のおじさんが、家内と娘と相談してと出された封筒に1,500万円の小切手が入っていたという。「昔の神様と違って、現代の神様は作業着を着てこの世に出ていらっしゃるのだな、そう思いながら後ろ姿を見送りました」約40年前のことです。

「魂」という「火の姿」が受け継がれて、人の根っこのところを少しずつ揺さぶって、感性を、時間や自然や思索や笑顔を取り戻してゆく様は「希望なき時代の希望」です。

一人の女性が播いた種が、こうした実を結んだとしたら、私も種を播こう、皆と力を合わせて。

亀井純子文化基金が15周年を迎え、記念パーティーと記念コンサートを行いました。

「(公)亀井純子文化基金15周年記念パーティー」

日時:2007年8月3日(金)開場5:45 開会:6:30 閉会8:30

会場:神戸風月堂・地下ホール

会費:5,000円(ビュッフェスタイル、フリードリンク)

●ゲスト 板橋文夫(ジャズピアニスト)もお祝いの演奏を!!●

「(公)亀井純子基金15周年記念コンサート」

チェコを代表する国際的チェリストの一人ミハル・カニュカさんをお迎えして。

愛器カルロ・アントニオ・テストーレ(1741年ミラノ)を携えて。

息のあったピアニスト伊藤ルミ(亀井純子文化基金の運営委員)さんとのデュオも10年になります。

チャリティー・コンサート

出演:ミハル・カニュカ(チェロ)、伊藤ルミ(ピアノ)

プログラム:ベートーヴェン:チェロ・ソナタ

      第2番 ト短調 作品5-2

      ベートーヴェン:チェロ・ソナタ

      第3番 イ長調 作品69

      フランク:チェロ・ソナタ

      イ短調(原曲:ヴァイオリン)

日時:2007年9月14日(金)開場:18:15 開演19:00

会場:あじさいホール(シーサイドホテル舞子ビラ神戸)

主催:(公)亀井純子文化基金 (財)神戸市民文化財団

料金:前売3,000円 当日3,500円

収益金:収益金は全て亀井純子文化基金に寄付されます。

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