- 2009年10月8日 一般財団法人「神戸文化支援基金」設立
- 2011年 4月1日 公益財団法人「神戸文化支援基金」設立
※公益信託「亀井純子基金」との合併
設立時の基金:34,000,000円 - 2011年1月20日に公益信託「亀井純子基金」は終了いたしました。
- 残余財産は一般財団法人「神戸文化支援基金」に寄付されました。過去の記録は下記でご覧いただけます。
(2024年6月~)
【 評 議 員 】
家次 恒 シスメックス(株)取締役会長
伊藤照哉 前 あさご芸術の森美術館館長
森 孝一 同志社大学名誉教授
山根良一 弁護士
【 理 事 】
島田誠 ギャラリー島田
木村光利 元(公財)兵庫県芸術文化協会理事長
島田容子 建築士
池上司 元 西宮大谷記念美術館学芸員
伊藤ルミ ピアニスト
岡野亜紀子 (公財)神戸市民文化振興財団 ほか
四方敦子 元 兵庫県立美術館芸術の館友の会顧問
林淳子 ギャラリー島田
藤池俊 (公財)赤穂市文化とみどりの財団理事長
【 監 事 】
中野郁夫 元(株)ロック・フィールド 参与
代表理事
島田誠 (ギャラリー島田)
業務執行理事
島田容子
本部・事務局
078-262-8058(F共)
〒650-0003 神戸市中央区山本通2-4-24 リランズゲート
ギャラリー島田内
担当理事:島田容子
亀井純子基金の誕生から公益財団法人「神戸文化支援基金」への歩み
亀井純子さん、といっても御存知ない方がほとんどでしょう。
平成2年5月、40才という若さで世を去ったごくふつうのひとりの女性です。彼女は、絵画・音楽・演劇などが大好きでした。とりわけ、才能があるにもかかわらず、発表のチャンスがない人たちや、おもしろくて有意義な内容なのに資金が集まらない催しには、いつも温かい好意を寄せるひとでした。彼女が生きていたなら、きっと実現したかったに違いない夢や想いを少しでも“かたち”にできれば・・・・・・・。
この公益信託『亀井純子文化基金』は、あくまでも彼女の遺志を受け継ぎ日本ではじめての草の根メセナとして誕生しました。
その夢が多くの人々の夢を引き受けながら次第に成長し、これも日本ではじめての公益財団法人「神戸文化支援基金」の誕生とつながっていったのです。
亀井純子基金の誕生
亀井純子さん、といっても御存知ない方がほとんどでしょう。
平成2年5月、40才という若さで世を去ったごくふつうのひとりの女性です。彼女は、絵画・音楽・演劇などが大好きでした。とりわけ、才能があるにもかかわらず、発表のチャンスがない人たちや、おもしろくて有意義な内容なのに資金が集まらない催しには、いつも温かい好意を寄せるひとでした。彼女が生きていたなら、きっと実現したかったに違いない夢や想いを少しでも“かたち”にできれば・・・・・・・。
この公益信託『亀井純子文化基金』は、あくまでも彼女の遺志を受け継ぐ者です。兵庫県内で行われることを条件に、若い芸術家たちが、芸術のユートピアを目指し、音楽、舞台、彫刻、絵画、写真、その他ジャンルは問わず、翼を未来へと拡げるような活動の成果を発表するための資金の一部を支援してきました。そして、毎年100万円の助成を続け、これまでに(2010年3月末)91件、1,800万円の文化助成をさせていただきました。
亀井純子文化基金が永続的な活動を続けるためには、設立当初から3,000万円の基本財産が必要とされてきました。ご支援をいただいた皆様のご協力により、信託財産は次のように、少しずつ目標に近づき、また遠ざかりつつありました。
■信託財産残高
1992年度13,000千円, 1993年度15,375千円,
1994年度17,098千円, 1995年度16,658千円,
1996年度17,302千円, 1997年度16,189千円,
1998年度16,068千円, 1999年度15,602千円,
2000年度15,619千円, 2002年度14,400千円,
2005年度13,841千円, 2006年度12,042千円,
2007年度12,473千円, 2008年度12,305千円,
2009年度11,207千円,(平成22年3月末)
一般財団法人「神戸文化支援基金」への移行
設立から17年が経過し、しだいに亀井純子さんを知る人も少なくなってくるに従って寄付も集まりにくくなってきました。例えば大きな寄付をされる方が亀井さんの名を冠した基金に寄付することに抵抗感があるかもしれません。理事長の亀井健さんと相談し、基金の名称を「神戸文化支援基金」とすることを決め、理事会の承認をえて兵庫県の担当部局と交渉に入りました。ところが公益信託としての承認は「亀井純子基金」としてのものであり、名称変更は認められないという見解でした。でも、このままでは消滅にむかうことが予想されます。そこで、もう一つ一般財団法人「神戸文化支援基金」を設立し、いずれ公益信託「亀井純子基金」と合併することを目指すことといたしました。
その検討を進めていた2007年3月15日に理事長の亀井健氏が逝去、大体の成案を得たころ、亀井さんのあと理事長についた島田誠の妻、島田悦子が2009年6月24日に亡くなりました。
島田悦子の遺志と寄せられたご芳志をもとに一般財団法人「神戸文化支援基金」は2009年10月15日に設立されました。
この時点での基本財産は1300万円。年間事業額200万円でした。
二つの基金の合併へ
新しい基金が発足してしばらくした2010年9月7日、西川千鶴子さんからの遺贈1000万円を受け、この財団の基盤が安定したのを受けて信託管理をしていた住友信託銀行と兵庫県は2011年3月3日、公益信託「亀井純子基金」から、一般財団法人「神戸文化支援基金」へ残余財産の寄贈を決め、この時点で、基本財産3500万円、年間事業費を300万円とする基金へを発展させることが出来ました。
公益財団法人へ
合併を見届けるように兵庫県公益認定委員会は2011年4月1日、永年の念願であった公益財団法人として「神戸文化支援基金」を認定しました。
しかしながら、運用益が期待できない現状では、皆様のご協力、ご支援だけが、この資金を育て、実のある活動を可能します。神戸に生まれた、市民メセナともいうべきこのユニークな基金を、皆さまの手によって、より大きく育ててくださるようにお願いいたします。
~公益信託「亀井純子文化基金」運営委員会~
信託管理人 新野幸次郎(元・神戸大学学長、神戸都市問題研究所長)
理事長・運営委員長 島田 誠
事務局長 中島淳(神戸芝居カーニバル実行委員会事務局長)
運営委員 山本忠勝(美術評論家)
伊藤ルミ(ピアニスト)
菊地由紘(北野響働コミュニティー顧問)
藤野一夫(神戸大学教授)
楠見健一(音楽・舞台芸術サポートネットセンター神戸主宰)
辛夷(こぶし)の別れ
3月15日午後4時23分。懼れていたことが現実になった。亀井健さんが亡くなった。61才。覚悟はしていたが、残念です。
3月17日(土)、住吉本山会館で11時から行われたご葬儀に、30分ほど早く行って健さんの写真と対話しました。最後に会ったのは、1月でした。うっすらと額に汗をにじませて「新神戸駅から山際を歩いてきました、運動のためにね」と変わらぬ口調で話し、治療の状況について語ってくれました。奥様の久仁子さんは「そのころは腰に痛みを抱え、足も痛かったと思います」など亡くなられた時の状況を話してくれました。
暖冬といいながら、ここ数日は寒さが戻り、風は冷たかったですが空は晴れ渡り、春を孕んだ光が背中を暖め、静かな気が支配したお別れでした。帰り道に咲いていた春の訪れを告げる清楚な辛夷(こぶし)が健さんの姿に重なりました。前触れもなく一夜にして咲く辛夷となって私に別れを告げたように感じました。
寒かったので、暖かいものをと飛び込んだ食堂。ああ、そうだ「死ぬということは食べられないことなんだ、健さんはもう食べられないのだ」と思うと、急に不在が確かなのものになり、しんみりしてしまいました。すでに彼より3年も長生きしているのですから3,000回は余計に食事をしているんだ、などと馬鹿なことを考え、箸がとまりました。
亀井さんとの出会い
亀井さんとのお付き合いのはじまりは1本の電話でした。亀井純子(前夫人)さんの1周忌を前に「ちょっと、ご相談したいことがある」と健さんが訪ねてきたのは1991年の2月でした。「純子が残した1千万円を、若い芸術家たちの活動を支援するために役立てて下さい」と突然切り出されたのです。失礼にも「保険金ですか?」と聞くと「いいぇ。純子が自分で貯めたお金です」と答えられました。
純子さんは、神戸にあったオランダ領事館で働いておられオランダの画家や音楽家を神戸で紹介する文化交流でお付き合いがありましたが、無念にも前年の5月に40才の若さで亡くなられたのです。心も姿も美しい方でした。
純子さんがふっと消えてしまった前の年に私は体調不良に陥り7月27日に「脳脊髄鞘腫」という難病の手術を受けました。一ヶ月後にはギャラリーへ復帰。その時の展覧会が私の病のために延期されていたオランダの画家ファステンハウトさんの個展でした。オープニングは画廊のリニューアルとともに祝祭の気分に溢れ、純子さんもとても喜んでくれました。その気分を壊さぬようにそっと「まもなく入院します」と告げられたのです。訃報に接したときの心の痛みが蘇ってきます。その時、すでに助からぬことを秘めていたのだという確信が私を責めました。闘病5年、最初のお出会いの時には既に病を得ておられたのです。
私が純子さんと共に仕事をした時間は20時間にも満たない気がします。健さんとは挨拶を交わした程度でしたが、大きなお金を私に託されました。そのことが、それからの私の16年の日々を導いたとも感じられます。
魂から魂へ 基金の誕生
健さんの申し出にどう応えるか自問が続きました。お金ではなく「遺志(魂)」を受け継ぐというのが私の結論でした。純子さんの1周忌である5月26日に基金をつくる準備会をはじめました。ここから公益信託が出来るまでが大変でした。全国でも珍しいちっぽけな草の根基金。いずれ消滅するだろうと言われて今年で15周年を迎えます。文化助成の公益信託は例が無いうえに確実に資金を集め活動を維持しているのも稀だそうです。
現在の基金残高が1千3百万円。15年間の助成実績が1千5百万円になります。すなわち1千8百万円はあとからいただいたものです。ありがたいことです。
「魂から魂へ」という言葉が浮かんだとたんに、若き日('63年)にグリ―クラブで指揮した大手拓次の詩(清水脩曲)のエンディングフレーズが頭の中で鳴り響きはじめ驚きました。40年以上、まったく忘れ去っていたのに。
その詩の最後は次のようです。
わたしは日のはなのなかにいる
わたしはおもいもなく
時(とき)のながれにしたがって
とおい とおい
あなたのことに おぼれている
あるときは ややうすらぐようにおもうけれど
それは とおりゆく 昨日のけはいで
まことは まことは いつの世に消えるともない
たましいから たましいへ つながってゆく
しろい しろい 火の姿である
魂から魂へとつながっていく「新しい灯火」であるこの基金は多くの方に支えられ、助成された約80件の事業の先には多くのアーティストやその活動に接した人たちの火の姿であるのです。
文化集合住宅へ
基金を立ち上げて10年で事務局長を中島淳さんに引き受けていただきました。そして15年周年を迎えるにあたって、何時来るかもしれない自らの幕引きを考えて、この基金を更に充実発展させて森や林とはいかなくとも大きな木に育てたいと運営委員会で設計図を描く試みを始めた矢先でした。新しい基金構想についても「島田さんが前から言っておられたことですから」と賛意を表してくれ病床で考えを纏めると聞いていました。行政や企業にたよることない個々の志が文化を支える。集合住宅「志」の各部屋に亀井とか島田とか何々さんとかの表札があがり、それぞれに支えたい目的が明示されているとういような構想です。高層とは遠く、マンションまでもいきません。まさに「文化住宅」なのです。
現代の神様
宮城まり子さん(「ねむの木学園」園長)が、3月24日の日経新聞の「私の履歴書」に「現代の神様」のタイトルで書いていました。
学園を設立して、その資金に窮していた時、突然、ホテルを訪ねてこられた作業着姿のおじさんが、家内と娘と相談してと出された封筒に1,500万円の小切手が入っていたという。「昔の神様と違って、現代の神様は作業着を着てこの世に出ていらっしゃるのだな、そう思いながら後ろ姿を見送りました」約40年前のことです。
「魂」という「火の姿」が受け継がれて、人の根っこのところを少しずつ揺さぶって、感性を、時間や自然や思索や笑顔を取り戻してゆく様は「希望なき時代の希望」です。
一人の女性が播いた種が、こうした実を結んだとしたら、私も種を播こう、皆と力を合わせて。
亀井純子文化基金が15周年を迎え、記念パーティーと記念コンサートを行いました。
「(公)亀井純子文化基金15周年記念パーティー」
日時:2007年8月3日(金)開場5:45 開会:6:30 閉会8:30
会場:神戸風月堂・地下ホール
会費:5,000円(ビュッフェスタイル、フリードリンク)
●ゲスト 板橋文夫(ジャズピアニスト)もお祝いの演奏を!!●
「(公)亀井純子基金15周年記念コンサート」
チェコを代表する国際的チェリストの一人ミハル・カニュカさんをお迎えして。
愛器カルロ・アントニオ・テストーレ(1741年ミラノ)を携えて。
息のあったピアニスト伊藤ルミ(亀井純子文化基金の運営委員)さんとのデュオも10年になります。
チャリティー・コンサート
出演:ミハル・カニュカ(チェロ)、伊藤ルミ(ピアノ)
プログラム:ベートーヴェン:チェロ・ソナタ
第2番 ト短調 作品5-2
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ
第3番 イ長調 作品69
フランク:チェロ・ソナタ
イ短調(原曲:ヴァイオリン)
日時:2007年9月14日(金)開場:18:15 開演19:00
会場:あじさいホール(シーサイドホテル舞子ビラ神戸)
主催:(公)亀井純子文化基金 (財)神戸市民文化財団
料金:前売3,000円 当日3,500円
収益金:収益金は全て亀井純子文化基金に寄付されます。
助成年度 |
助成対象 | 助成金額 | |
助成対象・対象者 | 内容 | ||
1992年 | 美術家達の提灯展 | 提灯を主題にした国際交流美術展 | ¥150,000 |
四谷KAIDAN | 在日外国人歌舞伎 | ¥150,000 | |
神戸・音楽の展覧会 | 神戸の作曲家による創作現代音楽 | ¥150,000 | |
実験劇場シアターポシェット | 演劇の育成 | ¥200,000 | |
映画「シーズレイン」 | 新進監督による神戸が舞台の映画製作 | ¥200,000 | |
1993年 | 栗山 茂 帰国展 | 油彩・初帰国展 | ¥200,000 |
「船を作ろう」展 | 船のイメージによる立体造形展 | ¥200,000 | |
ヤン・ピクウス主観写真展 | チェコの反体制写真家による写真展 | ¥200,000 | |
敦盛春宵を聴く会 | 須磨一弦琴とエレクトリックハープの競演 | ¥200,000 | |
日韓交流日本画展 | 日韓の画家による日本画交流展(日韓両国で開催) | ¥200,000 | |
現代美術野外展(RIWFOAP) | 六甲アイランド ウォーターフロントでの野外彫刻展 | ¥200,000 | |
1994年 | 藤田佳代 創作実験劇場 | 現代舞踊 | ¥200,000 |
アジアの紙芝居 | 国際交流紙芝居 | ¥200,000 | |
韓麗英 個展 | 中国留学生支援(現代染織) | ¥200,000 | |
現代美術野外展(RIWFOAP) | 六甲アイランド ウォーターフロントでの野外彫刻展 | ¥200,000 | |
現代ピアノ音楽の贈り物 | 元町120年(現代音楽) | ¥200,000 | |
近松 曽根崎心中 | 外国人による国際交流演劇 | ¥200,000 | |
1995年 | 創作実験小劇場-くすのきステージー | 現代舞踊(藤田 佳代) | ¥200,000 |
アート・エイド・神戸 音楽部門 | チャリテイコンサート | ¥200,000 | |
アート・エイド・神戸 美術部門 | チャリテイ美術展 | ¥200,000 | |
子供達と絵を描く会ピントゥーラ | 被災地の子供の作品展 | ¥200,000 | |
ジョルジュ・ルース 阪神プロジェクト | フランス現代美術家の被災地での制作を支援 | ¥200,000 | |
風呂本佳苗 日本デビューコンサート | ロンドン王立音楽学院で学んだピアニスト | ¥200,000 | |
間島領一個展 | 芦屋市立美術館にて「食」がテーマの作品展 | ¥200,000 | |
C.A.P | ¥200,000 | ||
1996年 | 現代演劇「ソ・の・次・の・音」 | 震災をふまえて不条理の認識を | ¥100,000 |
現代美術野外展(RIWFOAP) | 潮風の吹きぬける公園での現代アート野外展 | ¥200,000 | |
辻 裕之テノールリサイタル | ロンドンから帰国のデビューリサイタル | ¥100,000 | |
BEYOND INNOCENCE | 新感覚のジャズフェスティバル(シーベックホール) | ¥100,000 | |
1997年 | ニューフィルハーモニー・ジュニアオーケストラ | 幼稚園児から大学生まで60名。国際交流、地域貢献。 | ¥200,000 |
神戸ニューウェーブシアター | 前衛的な演劇を紹介する、意欲的な演劇運動 | ¥200,000 | |
「フルーエン(蝿)」上演 | デンマークポートシアターによる演劇 | ¥200,000 | |
現代美術野外展(RIWFOAP) | 六甲アイランドの海辺の公園での野外アート展 | ¥200,000 | |
パーマネントシリイー | 「神戸の壁」前でのパフォーマンス | ¥100,000 | |
1998年 | 「鎮魂と希望」グローバルコンサート in 神戸 | 99/1/17の震災5年目コンサート | ¥100,000 |
秋 修一 写真展 | 東京&大阪で個展。同時に写真集を自費出版 | ¥200,000 | |
元町ミュージックウィーク | 元町界隈をステージとするミュージックウィーク。 商店街がバックアップ |
¥200,000 | |
SATOKO PLAYS(井上郷子) | 現代ピアノ音楽のスペシャリスト。新作を含む意欲的現代音楽。 | ¥200,000 | |
現代美術野外展(RIWFOAP) | 六甲アイランドの海辺の公園での野外アート展 | ¥200,000 | |
上野 亜矢子パントマイム ソロ公演 | 上海舞踊公司を離れ久々のソロ公演。KAVCシアターにて。 | ¥200,000 | |
1999年 | 「CAP HOUSE」190日間の芸術的実験 | 旧ブラジル移民センターにて市民と共に創作活動、 コミュニケーション。 |
¥200,000 |
ニューヨークの仲間達 | ¥200,000 | ||
現代美術野外展(RIWFOAP) | ¥200,000 | ||
2000年 | 実験劇場シアターポシェット | 演劇の育成活動支援(劇場メンテ、運営補助) | ¥200,000 |
現代美術野外展(RIWFOAP) | 六甲アイランド野外アート展。音楽、詩等加わり幅広く発展 | ¥200,000 | |
シルバーキャッスル | 小劇場での英語ミュージカル | ¥200,000 | |
出光真子作品展「私がつくる。私をつくる。」 | 30年にわたる作者の映像作品回顧展 | ¥100,000 | |
芝居屋 坂道ストア「あくびと風の威力」 | 震災体験を踏まえた作品。女性だけの劇団 | ¥200,000 | |
劇空間ファーストクラス「run for your wife」 | 劇団自由人会メンバーによる第1回公演 | ¥100,000 | |
2001年 | 安藤彩英子 日本初個展 | ベトナム伝統漆絵(son mai)の作品展 | ¥200,000 |
2001年アジア演劇祭 in 関西(osk、kb) | 公演と座談会による関西でのアジア演劇文化交流 | ¥150,000 | |
2001年ラブリーコンサート オペラ「カルメン」 | ファミリーで楽しむ市民参加型実験小オペラ | ¥100,000 | |
名倉誠人マリンバリサイタル2001 | アメリカで活躍する若手作曲家の作品を集めて | ¥200,000 | |
現代美術野外展(RIWFOAP) | 六甲アイランド野外アート展。音楽、詩等加わり幅広く発展 | ¥200,000 | |
2002年 | 一般公募による出演者と共につくるダンス、 歌、ミュージカルによる地域活性化 |
第14回兵庫のまつり-ふれあいの祭典 「ダンス&ソング&ミュージカル」 |
¥200,000 |
神戸を拠点にしたオリジナル演劇作品の発表 | コドモドア局 演劇公演 | ¥200,000 | |
特定非営利活動法人リ・フォープ、宮崎みよし | 第9回六甲アイランドwaterfront現代美術野外展等参加 | ¥200,000 | |
劇団自由人会、森もりこ、「神劇まわり舞台」 | 「劇団自由人会・代表三作品一挙上映」 | ¥100,000 | |
2003年 | 「splitterecho 」編集委員会、山本貴士 | 舞台芸術に関する批評新聞発行 | ¥200,000 |
From the earth project、塚脇淳 | 野外彫刻の実物大完成予想図を描くワークショッププロジェクト | ¥200,000 | |
JMN(日本ミュージカルネットワーク)、萩原徹 | JMNプロデュース公演ミュージカル実施費用 | ¥200,000 | |
コンサート・オマージュ ア ブレッチア、伊藤祐二 | Brecciaプロジェクト神戸公演実施費用 | ¥200,000 | |
Kavcaap実行委員会、内山幸子 | HIV/エイズ問題を啓発する現場をアート手法により開拓 | ¥200,000 | |
2004年 | Both Side-不二 | 日本-フィンランド現代美術展 | ¥200,000 |
声を巡るワークショップとレクチャーコンサート (5/13~10/28まで全6回) |
¥200,000 | ||
(特)Art Produce&Management Network | K-ENプロデュースin SonicHall (高校生による音楽・演劇・放送の各場所の提供と運営支援) |
¥200,000 | |
「手づくり絵本展」全国コンクール | 障害をもった子どもたちの絵本の全国コンクールの展示と出版 | ¥100,000 | |
清水章代の広っぱRattaスタジオ・オムニバス | オムニバス・マイム3作品と5役に挑戦する初の一人芝居 | ¥100,000 | |
上海太郎舞踊公司 | ダンスとマイムを使った言葉のない演劇公演。 (7月17日、18日/KAVC) |
¥100,000 | |
2005年 | 名倉誠人 | マリンバリサイタル「森と木の音楽」 | ¥200,000 |
インターナショナル・チェロ・コングレス | チルドレン・コンサート | ¥200,000 | |
劇団プロデュース | 50回記念講演「そして、僕等はそこで夢を見た」 | ¥200,000 | |
「splitterecho 」編集委員会、山本貴士 | 舞台芸術に関する批評新聞発行 | ¥200,000 | |
ジャナグルアートセンター | ジンバブエと日本の文化交流プロジェクト | ¥200,000 | |
2006年 | 福島 清 | 著作原稿の単行本化 | ¥200,000 |
神戸芝居カーニバル実行委員会 | 田中泯独舞IN神戸 「場踊り一歩測脱皮」 | ¥200,000 | |
「モーツァルト”バスティアンとバスィエンヌ” レクチャー&室内オペラ公演」を成功させる会 |
モーツァルト”バスティアンとバスィエンヌ” レクチャー&室内オペラ公演 |
¥200,000 | |
あらたの企画 | 演劇公演 「グスコーブドリの伝記」 | ¥100,000 | |
2007年 | 兵庫県立美術館アートフュージョン委員会 小西光 |
現代美術と音楽の出会う場所 演奏とトーク | ¥100,000 |
神戸大学アートと人間シンポジウム実行委員会 岸本吉弘 |
「水平狂」展覧会と公演 | ¥100,000 | |
ジャワ震災支援会 中川真 | 「マンディ・サマサマ」 | ¥200,000 | |
南 輝子 | 板橋文夫、岩岡ラストコンサート CD制作 | ¥200,000 | |
アンサンブル神戸 矢野正浩 | ドニゼッティ「レクイエム」公演 | ¥200,000 | |
芸術と計画会議 江見知子 | アイルランド「リュックサックプロジェクト |
¥200,000 | |
2008年 | 震災・まちのアーカイブ | シンポジウムの開催 とその記念誌発行 | ¥150,000 |
「日韓印2000年の邂逅」実行委員会 | 世界最古の舞踏会「クーリヤッタム」 | ¥200,000 | |
カー・キャンプ日本実行委員会 | ゲイリー・カー・キャンプ・イン・ジャパン | ¥200,000 | |
地力。KOBEモトコー・2008 実行委員会 | 高架下の新しい価値を発見しようとするプロジェクト | ¥100,000 | |
被爆ピアノコンサート in 神戸実行委員会 | 絵本「ヒロシマのピアノ」コンサート | ¥100,000 | |
万笛博覧会 実行委員会 | 万笛博覧会 | ¥100,000 | |
朴 守賢(パク スヒョン) | 朴 守賢 朗読音楽作品展(仮) | ¥150,000 | |
2009年 | 『Make up!』実行委員会 | 100年建築を使って素材の質感にこだわる実験的作品。 三人展。アトリエQ2. |
¥100,000 |
多可町文化会館自主事業部会 多可町文化連盟 | 国際的ピアニスト弓張美季の多可町学校講演プロジェクト。 | ¥200,000 | |
特定非営利活動法人芦屋ミュージアム・マネジメント | 芦屋市内公立幼稚園と芦屋市立美術博物館との 連携ワークショップ |
¥200,000 | |
Chopin 160事務局 | ショパン没後160年記念ピアノコンサートをアートマネージメントを研究する神戸大学で学ぶ若者がプロデュース | ¥100,000 | |
神戸芝居カーニバル実行委員会 | 田中泯&高橋悠治DUO ~時空を超え 時空を繋ぐ~ | ¥100,000 | |
GENESIS ART COMPANY | コンテンポラリーダンスの最新表現技法の実験。芸術の新天地を目指す。 | ¥100,000 | |
特定非営利活動法人 アーツプロジェクト |
ホスピタル・アート <<ワークショップと展示>> | ¥100,000 | |
特定非営利活動法人 NPO神戸100年映画祭 |
第14回神戸100年映画祭―淀川長治メモリアル | ¥100,000 | |
2010年 | 神戸国際芸術祭実行委員会 | 神戸国際芸術祭2010小学生のために質の高いクラシックコンサートを無料で体験する。 | ¥200,000 |
タイムカプセル空間研究所 | 日本とドイツで活躍する若手アーティストが合同制作を行い空間実験に取り組む国際交流美術展 | ¥200,000 | |
パラモデル 中野 裕介 | 大量の塩ビパイプを使った立体的なインスタレーション。 パラモデルの世界はプラモデル |
¥200,000 | |
佐用町国際交流協会 | ジンバブエの子ども達と作用の子ども達による交流と災害復興応援コンサート | ¥100,000 | |
丹波篠山・まちなみアートフェスティバル実行委員会 | 伝統的保存町家を舞台に現代現代アートとコラボしアートストリートを現出させる。 | ¥200,000 | |
神戸大学発達科学部人間表現学科表現創造論コース | 四期生が舞台公演全体をプロデュースして現代演劇の上演に取り組む。 | ¥100,000 |
1992年8月設立「亀井純子基金」
2010年9月「西川千鶴子基金」
2011年6月「島田誠・悦子基金」
2016年5月「川本昭男・やよい基金」
冠名基金(Your Name Fund)は遺贈には限りません。
私たちは「アーツエイド東北」を通して芸術文化による復興を志縁しています。
「アーツエイド東北」への志縁 9,721,212円
東日本大震災の被災地を励ます芸術文化活動助成 1,400,000円
2013年11月20日現在
こぶし基金による東日本大震災への志縁活動は2014年5月末をもって終了いたしました。
「アーツエイド東北」への志縁 、東日本大震災の被災地を励ます芸術文化活動助成に対して¥11,785,058の志縁を行ないました。
今後の志縁活動はアート・サポート・センター神戸が担うこととなります。
ご志縁いただいたみなさまに心からの感謝を捧げます。
「アート・エイド・神戸」の7年
2002年1月17日をもってアート・エイド・神戸は7年間の活動を終えた。
最後の事業は松方ホールにおける「竹下恵子・忘れられない1・17 詩と音楽の夕べ」で全国から公募した震災を読み込んだ詩103点から選ばれた最優秀賞に対して伊勢田史郎委員長からアート・エイド・神戸賞が贈られた。
(崩壊の現場から)
震災直後の1995年2月18日、高速道路も、ビルも、港湾も、住居も崩壊し、焼き尽くされ、一人一人の生活も壊滅状態のなかで、私たちは文化の復興を目指して、この運動を始めた。
ネーミングについては神戸の文化は自分たちの手で守るという決意と、芸術家自身も神戸の復興のために力を結集するという願いをこめた。
委員長に当時、神戸芸術文化会議の議長であった詩人の伊勢田史郎、副委員長に画家の中西勝、神戸商船大学教授で音楽評論の井上和雄、委員に美術評論の伊藤誠、作曲家の中西覚、そして私が事務局長、(公)亀井純子文化基金の監事の梅田奈加子が会計監事として就任した。
基本的に活動は芸術文化活動支援が中心であったので最終的な財政の状況だけ報告すると、7年間に寄せられたご寄付と事業収入の合計は約8千万円、残高338千円、芸術文化活動支援に直接使われたものが44百万円となった。
アート・エイド・神戸終了後、基金残高はアートサポートセンター神戸に寄付された。
振り返って、今更ながら活動の多彩さ、規模の大きさに驚く。
しかし、アート・エイド・神戸の活動の本質は芸術活動の後方支援であり、この数字の裏付けとなる活動はすべて個々の芸術家あるいは集団の実践です。私たちは時には発議し、時には助言し、助成することによって、方向性を示したり、繋げたり、後押ししたりしてきただけなのだ。後方支援部隊が華々しくマスコミに取り上げられることには批判もあったが、その広報によって活動助成の資金を得ることが可能になったという側面があった。
活動の多彩さは構成委員がそれぞれの分野で専門家であり、かつ幅広い視野と十分な人脈をもっておられたことと、アート・エイド・神戸を媒介として分野を超えた連携・クロスオーバーが生まれたことが大きい。
(立ちあがって、繋がって)
主な事業を列挙します。
芸術家緊急支援 壁画キャンペ-ン 震災詩集の刊行(第3集まで) 詩画集の刊行 各種芸術活動によるチャリティー公演の実施 仮設住民の美術展・音楽会への招待 震災から生まれた芸術の発信(釧路・東京・福岡・奈良・県内・海外) 芸術文化活動への支援・助成 「芸術文化による市民力養成連続講座」などワークショップの開催 「震災から生まれた芸術~クロスオーバーする魂」など各種シンポジウムの開催などです。
(播かれた種)
神戸は、瀬戸内海の穏やかな海と六甲山系の美しい稜線に囲まれ、四季折々の豊かな表情と温暖な気候に恵まれた、文化性豊かな町でした。しかし、港を中心として海外の先端的な文化を受け入れて創造的な意欲に溢れた街も、港の衰退とともに保守的な体質を強め、刺激しあうというよりも内向きの蛸壺状態が続いてきたように思います。
震災を契機として芸術に携わるもの全てが、人間として、さらには表現者としての原点に立ちどまり、自分の存在理由を問い直さざるをえませんでした。
そして芸術ジャンルを超えたクロスオーバー(交流)が生まれました。アート・エイド・神戸はこれらの触媒の役を果たしました。
詩と音楽、詩と美術と演劇、詩と美術など芸術ジャンルの交流だけに止まらず、芸術と市民活動、企業と芸術支援などかってない規模で連携しました。仮設住宅支援のボランティアとの連携、高齢者支援、多文化共生、環境団体などの企画に文化は欠かせない重要な要素となり、震災後神戸に本社を移した(株)フェリシモは通信販売のノーハウを生かした「神戸カタログ」の売り上げの1%をアート・エイド・神戸を通じて文化復興に積極的に関わって新しい社会貢献のスタイルを打ち出しました。
(一粒の麦死なずば)
こうした活動の中から「兵庫現代詩人協会」が生まれ、震災詩集から生まれた歌曲集が出版され、CDとして刊行された。
「千人のチェロコンサート」の松本巧、「六甲アイランド野外現代美術展」の宮崎みよし、ブラジル移民センターを芸術拠点に活用する「C・A・P」の杉山知子、「神戸100年映画祭実行委員会」などがNPO(非営利市民活動法人)の資格を取得して確実に地歩を固めているほか、「元町ミュージックウィーク」の三木久雄など、支援した様々な芸術イベントが立派に育ち、そこから育ったプロデューサーが優れた仕事を展開しつつあります。
(アート・エイド・神戸からアートサポートセンター神戸へ)
アート・エイド・神戸は震災を契機に生まれただけに震災との関係において語られ、活動が制約されることが多い。しかし7年を経て、震災を経験することによって学んだことを基盤にして、より創造的な課題へと重点を移したいとの思いが実行委員会で議論され、事務局長の島田誠が北野にギャラリー島田として活動の拠点を移したのを機会に、新しいアートサポートセンター神戸へ移行することとなりました。
ここではすでに40回に及ぶサロン活動が活発に展開され、「ギリシャ人からのメッセージ(5回)」「アジア音楽面白講座(5回)」「日本歌曲の歌い方(3回)」のシリーズをはじめ、詩人によるパフォーマンス、講演、サロンコンサート、映画「縄文」の上映などが行われています。
今回、舞台芸術を支援するMSI(Mutual Supporting Institution)事業をスタートさせその最初の事業として取り組んだ新しい県立美術館のオープン記念コンサートでは満席となり約30万円が協力した文化団体に還元される予定です。
まだまだ本来の芸術文化交流拠点としての組織や財政規模、コミュニティービジネスへの取り組みなど課題がたくさんありますが、文化の創造にともに関わる喜びを分かち合える組織として発展させていきたいと願っています。